ビリケンは悪霊である 4

ビリケンの精神
“笑え!”
笑いの神。まるで大阪のための神であるかのようだが、大阪人気質が先なのか、それとも、ビリケンの影響力の方が先だったのか。
カーニバルのマスコット(昔のフィリピンにおいて)
“あんたに助言を一つ。・・・落ち込みと心配はあんたの寿命を縮めさせる。だから、カーニバルに来て、心配事を吹き飛ばしちまいな。陽気な心には薬のような効き目がある。良い時を。”(ビリケン)
これらの台詞はもちろん人間が考えたものだれど、しかしビリケンの一面を、いや本質を、よく捉えていると思う。ビリケンはそういうヤツである。彼はイージー教の神である。
私はアンネリーゼ・ミシェルのエクソシズムの記録の一節をふと思い出す。
司祭: お前はカーニバル(マルディグラ)が好きか。
ユダ: ああ (yes)、俺達はそれが好きだ。
「笑いには何の問題もない」と言ってビリケンを擁護しようとする人はいないよね。
確かに日本には「笑う門には福来る」という諺があるし、また医学では笑いの健康に与える一定の好影響というのも実証されているだろう。
けれど、それが全てじゃないってことだ。それらは真理のカケラ、いわゆる「一面の真理」ってやつだ。そして他方、「人生」ってのは、そこまで簡単じゃない。
確かに、「笑いは王様」ではない
人は真面目に考えるべき時には真面目に考えなけりゃいけない。
真面目に考えるべき事柄を「笑いながら真面目に考える」ことはできない。
人類の先行きとか、この世の悲惨とか、そして、そう、地獄の有る無しのこととかをね。私達はそれらについて笑いながら考えることはできない。笑う人は考えることができない。
ビリケンが私達に勧めている生き方とは?
いや、もう議論はやめよう。
こんなヤツの事に大真面目なコーサツを加えるのはよそう。
だって、あまりにハッキリしてるじゃないか。
結論
悪霊である。
田村駒さんは簡単に「幸福の神であります」なんて言っちゃいかんかった。
日本には「幸運の教会」のようにこれを「礼拝」している人は殆どいないだろうから「実害」のほどは分からん。しかし不愉快な事ではある。
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